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ゴリアド郡 (テキサス州) : ウィキペディア日本語版 | ゴリアド郡 (テキサス州)[ごりあどぐん]
ゴリアド郡()は、アメリカ合衆国テキサス州の南部に位置する郡である。2010年国勢調査での人口は7,210人であり、2000年の6,928人から4.1%増加した〔Quickfacts.census.gov - Goliad County - accessed 2011-12-06.〕。郡庁所在地はゴリアド市(人口1,908人〔American FactFinder - Jourdanton, Texas - accessed 2011-12-06.〕)であり、同郡で人口最大の都市でもある。ゴリアド郡は1836年に設立され、郡名はメキシコの自治体であるゴリアドから採られ、そのゴリアドの町は「メキシコ独立の父」ミゲル・イダルゴ神父に因む命名だった。"Goliad" というのは"Hidalgo" の綴りを組み替えたものであり、無声音の"H"は取れた。ゴリアド郡はビクトリア大都市圏に属している。 == 歴史 == 1835年12月20日、テキサス独立宣言がゴリアドで署名されたが、正式の宣言はワシントン・オン・ザ・ブラゾスで開催された1836年会議で行われた。テキサス革命の間には、ゴリアドで2つの戦闘が起こった。初期のゴリアドの戦いは小競り合いだった。しかしその後のコレトの戦いは、1836年3月27日を頂点とする重要なものになった。ジェイムズ・ファニン大佐とそのテキサス兵部隊が、メキシコのアントニオ・ロペス・デ・サンタ・アナ将軍の命令で処刑され、これは後にゴリアドの虐殺と呼ばれるようになった。この後テキサス革命軍の鬨の声は「アラモを忘れるな、ゴリアドを忘れるな」になった。今日、アラモを知っている人は多いが、ゴリアドのことは忘れられている。虐殺が起きた場所はゴリアド州立公園とされ、ゴリアドの町のすぐ南にある。 ゴリアド郡はイグナシオ・サラゴサが生れた場所でもある。サラゴサは1862年5月5日に起きたプエブラの戦いで、侵略してきたナポレオン3世軍(メキシコ出兵)に対抗して撃退したメキシコ軍を率いた。この5月5日はシンコ・デ・マヨと呼ばれ、メキシコの祝日になっている。
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